2018年も、もう10日めですね!
僕は最近のお正月は実家のある姫路で姪っ子たちと遊び、東京に帰って来てからは、どっと疲れる、という行為の繰り返しですねぇ。
その前後に旅をするのもありますが(今年は年末に和歌山、年始に岐阜)、やっぱり、実家が疲れる気がします。。。
いやはや、家族に会うのは年1回くらいでいいや。。。
今年は特に、東京に帰って来てすぐにハロワ&ワカハロ通いもあり、例年よりさらに消耗しましたが、3連休にゆっくり休み、少し回復致しました。
これから、ゆっくりとタスクを解消していきたいと思います。
で、改めて、
今年の目標をゆるーく考えてみようと思った。
しかし、毎年、目標を考えるのはこの頃が多いなぁ。
まぁ、年末はバタバタ、で、年始も実家でバタバタ→東京へ、が多いから、落ち着くのはやっとこれくらいからなんだよなぁ。
というわけで、まずは今までの人生の振り返り、なんですけど、1月4日5日くらいにtwitterでかなり書いたのでそれを貼り付けますw
俺はビンボーなんじゃない、単に必要以上の富貴を望んでないだけだ(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月3日
同世代とかと比べないのは、単に『自分の人生』を生きてるだけだ(笑)
「俺の人生の残り時間」という俺の資産を俺がどう使おうと、俺の勝手だろっ!(笑)
青春18きっぷで東京帰るとか(笑)
静岡立ちっぱなしとか(笑)
俺が目指してるのは、金持ちブロガーになることでも、人気ブロガーになることでもない!!
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月3日
『解脱』して『善人』になること!!(笑)
悪人は正機になれ!!(笑) pic.twitter.com/Jt680Z4YFW
弟は正月明けに高校の同窓会に行ってた。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
「すごいなー」って思う。
俺は小中高大の同窓会には一切、出席しない。
それどころか、35歳までに会った人は基本的に断捨離だ(笑)
俺が会いたいのは、たまたま同じ学校や職場にいた人じゃあない。
自分のブログの『関係人口』だっ!
A1理論!!
軍師・黒田官兵衛いわく、
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
「天下、最も多きは人なり、最も少なきも人なり。」
俺は激レアな、
「最も少なき人」
にだけ、興味がある。
どこにでもいるモブキャラは人生から断捨離!!
モノより、カネより、関係人口!!
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
買った!!
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
今から読むー!!! pic.twitter.com/PBRgGSa7aW
ソトコトの『関係人口入門』面白い!!
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
これ飲んで続き読むー!! pic.twitter.com/2cIFIrmCpb
関係人口入門、面白過ぎたので、読書感想文書きたいけど、明日、認定日なので、おとなしく、寝よう(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
しかし、この『関係人口』、地方都市には絶対的に大事な概念、というか、この概念を理解してない地方都市は、個人的には詰むと思ってる(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
あと10年くらいバクシーシ攻撃を続けてたら、誰も寄り付かなくなると思うの(笑)
で、地方都市は関係人口が増えれば増えるほどいいと思うけど、一個人の『関係人口』はせいぜい100人くらいが限界なんじゃないかと思う。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
それ以上、『関係人口』がいるとわけがわからなくなる(笑)
僕が35歳でブログを始めた理由は、今風に言うと、この『関係人口』を増やすため。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
で、35歳までの友達や知り合いはほとんど断捨離した。
だって、そいつら、全く要らない人たちだったもん。
カネより、モノより、自分と親和性の高い『関係人口』こそが、当時の僕にはなによりも大事だった。
で、それは35歳まで僕がずっと追い求めていた概念だった。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
高校に進学したのも、大学に進学したのも、姫路を出たのも、すべて自分の『関係人口』を探すためだ。
で、大学でインターネットに触れてから、学内掲示板、メルマガ、mixiと、何度か『関係人口』構築に挑戦しては失敗、を繰り返していた。
30代前半は、仕事関係者の飲み会で、20代で構築出来なかった関係人口構築に若干、成功したように思えたけど、「親の借金」と「学費の借金」という『双子の赤字』を返済したら、その人脈は全く必要無くなった(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
結局、仕事関係者は、職場の人間だろうが、自分の飲み会仲間だろうが、カネ目的だ。
なので、35歳から、自分と親和性の高い人たちで人脈を再構築しようと思った。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
ちょうど、スマホもTwitterもFacebookも普及してきたし、『はてなブログ』なるサービスも始まったので、タイミングはすごくいいと思った。
そこから5年。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
最初の2年半は苦戦したけど、残り2年半はミニマリストブーム、そこからのゲストハウスブーム、そこからの下諏訪ブームに乗って、順調にブログを軸とした『関係人口』は増えていった。
で、ブログ5年後の40歳の年末年始に、もう無理に関係人口を増やさなくてもいいかな、って思った。
今現在、『関係人口』の定義にもよるけど、個人的には、『A1理論』の関係人口は、
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
Twitterに約50人
Facebookに約50人
ほどいると思っている。
さらに、ブログの定期読者は、アクセス数や下諏訪マスヤゲストハウスで会った人たちの数的にも考えると、500人〜1000人くらいいると思う。
そう考えると、35歳時点での目標、というか、この40年間の人生前半での目標は、おかげさまで到達できた、と、今は考えている。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
これ以上、無理に『関係人口』を増やす必要はないと思うし、僕がブログを辞めることは考えにくいから、今後も関係人口や読者はほっておいても微増していくと思っている。
これからの、人生後半の目標は、この自分との『関係人口』と生きていく時間をマキシマムにすること。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
そのために『労働』という概念はめっちゃ邪魔!(笑)
『関係人口』でもない人たちと一緒に過ごす時間は、僕にとっては全く要らない時間だ。
その時間は『自分の人生』じゃない。
というわけで、僕の40歳からの目標は『労働』の断捨離。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
これは『自分の人生』を生きるために必要なこと。
そして、『自分にとって大切な人たち』を支援するためにも必要なことだ。
というわけで、僕の今後の人生のテーマは、
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
『労働』の断捨離。
もっと簡単な言葉で言うと、
カネ儲け(笑)
俺が『労働』を断捨離することで、またひとつ『労働者』の椅子が空く。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
それに誰も座らなければ、またひとつ、ブラック企業が倒産に近づく。
俺はそれに喜びを見出す人間だ(笑)
ごめんなさい、にゃんす先生。 pic.twitter.com/amAJhqyVVk
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
なんと!!
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
こんな時間に高田馬場の日高屋でミニマリストのたぬき氏と遭遇!!(笑)
これ、関係人口過ぎるだろ(笑) pic.twitter.com/IkrQ1X07oQ
いやぁ、関係人口が増えすぎると心臓に悪い(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
さ、寝よう寝よう。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月4日
たぬき寝入り(笑)
最後はネタだったけどwww
ま、上にほとんど書いているけど、僕が40年間、追い求めてきたのは、おカネやモノではなく、
「自分を理解してくれるほんの少数の人達」
だった。
先日、『ちきりん@勝間邸』の▼この動画を3回も聴いたけど、、、w
「『仮想通貨』も『日本社会』も、まもなく大暴落するんじゃないかな?」 - A1理論はミニマリスト
変わり者の勝間さんも、、、
勝間さんの生き方がA1理論的過ぎだなぁw
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月7日
少数の変な人と付き合っててどうにかこうにか生きてきたんだなぁw
あー、俺と勝間さんの学生時代がクリソツだなぁ。。。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月7日
俺も学生時代、授業は全く聞いてなかった。。。w
勝間さんは良くも悪くも「日本的な環境」で生きて来ていない。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2018年1月7日
勝間さんや、動画の中にも出てきた堀江さんは、運良く私立中学に行けたから良かったんだろうなぁ。
僕は親にもそんな財力なかったし、そもそも姫路には私立中学がほとんどない。
なので、10代の僕は姫路という閉じられた小宇宙から出たくて出たくて仕方がなかったように思える。
その点では小中高が公立の▼ちきりんさんとすごく似ている気がする。
ちきりんさんがどこで生まれ育ったのかわからないけど、少なくとも僕が生まれ育った兵庫県姫路市の浜手の地域は、どこを見ても、ヤンキー、ヤンキー、ヤンキー、ヤンキーという地域だ。
で、最終的に僕は20歳で東京に出て来たんだけれども、、、
もうそこからはひたすらビンボー生活で、、、
勝間さんやちきりんさんが求めた、
「変わり者フロンティア」
は、
『外資系企業』
だったのかもしれないけど、、、
僕が求めた、
「変わり者フロンティア」
は、僕が東京に出てきた98年当時、普及し始めた、
『インターネット』
だった。
僕の大学がその頃では珍しく、学内にPCがかなり配置されていて、学生はネット使いたい放題だったのも大きいw
僕は大学に行っても、教室ではなく、メディアネットワークセンター直行したり、時には24時間ネットが使える号館に泊まり込んで学内掲示板に駄文を書き続けたw
僕が、勝間さんやちきりんさんのように『外資系企業』に魅力を感じなかったのは、この『インターネット』があったことと、根っからの物欲のなさと、学生寮生活でそもそもおカネをそんなに使わずに生きていける術を身に着けていたこと、あと、そもそも働きたくないことが挙げられるw
そういう点では、僕は同年代の▼phaさんに似ている気がする。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
- 作者: pha
- 出版社/メーカー:技術評論社
- 発売日: 2012/08/03
- メディア:単行本(ソフトカバー)
- 購入: 16人 クリック: 1,642回
- この商品を含むブログ (103件) を見る
で、phaさんを表す形容詞は『ニート』とか『オタク』とか『ギーク』という言葉で良かったと思うんだけれども、、、
僕はインターネットは好きだけれども、学生時代はバックパックひとつで海外に旅に出たり、サークルでイベントを開催したり、仕事を見つけてきてそこで働いていたり、というキャラで、、、、
学生寮でずっとゲームしたり、麻雀したり、(3年時からネット環境が整った静養室で)パソコンばっかりしている寮生を、
「せっかく、東京にいるのに、なにしてるんだ??」
って思ってたほどだ。
インターネットは好きだけれども、プログラミングや、メカやガジェット、PC本体や周辺機器にはほとんど興味がなかった。
ていうか物欲そのものがないし。
そういう「僕を表す形容詞」がないまま、時代は、メルマガ、mixiと移り変わって行った。
で、20代後半に、mixiで、
『自分と親和性の高い人』
を探そうと思って、いろいろ大小のオフ会とかを開いたりしていたけれど、結論から言うと失敗。
mixi自体のシステムも今から考えたらかなり微妙で、
「ああ、俺が求めている『世界』には、まだまだ技術的に遠いな。」
って思った。
で、
アラサーの僕はしばらく、リアル生活に没頭することに。
一番の理由は、実家の経済状況がいよいよヤバくなってきたからだ。
「実家の借金」と「学費の借金」という『双子の赤字』を返済することが僕の20代以降の目標だったが、mixiがもう落ち目になっていたので、そっちに専念することに。
ちょうど、ビジネススキルも上げたいと思っていたので(アラサーってそんな時期なのかもしれない)、仕事と並行して資格試験も取得して行った。
で、その仕事では仕事仲間で勉強会兼飲み会を開催をよくしていた。
その仕事は仕事仲間が都内の各拠点にバラバラに配置される仕事で、拠点間の情報共有がほとんど出来てなかったので、その問題点を僕がプライベートで埋めた感じだ。
それは仕事仲間には当然、かなり喜ばれた。
ちょうど僕もmixiコミュニティが崩壊して、コミュニティを求めていたんだろうな。
20代で培ったオフ会開催スキルも、その勉強会で存分に発揮したw
で、そうこうしていると、『双子の赤字』にも一応の決着がつき、無事、風呂のあるアパートに引っ越しでき、さらに貯金がそこそこ貯まった時点で、仕事を辞めた。
そうなると、
その仕事仲間のコミュニティにはなんにも魅力がなくなっていたw
僕自身が仕事を辞めたのも大きいんだけれども、、、
そのコミュニティのメンバーでも、自分の次の進路を見つけ、その進路に向かって行った人はもう飲み会に来なくなるし、結婚した人とかは、家で新妻がご飯作って帰りを待ってたりすると、もう飲み会には来なくなる。
そうなると、残っているメンバーは、とにかくネガティブな発言を繰り返す人とか、真夜中に電話かけてくる人とかになってしまった。
それでも僕が仕事続けている間はまだ良かったけど、
仕事辞めたら全く要らない人達になったwww
というわけで、
僕は34歳で、一旦、それまでの仕事仲間とのコミュニティをリセット。
したんだけれども、
そうなると、全くコミュニティが無くなったw
コミュニティ・ロス状態ww
でも、そのタイミングで、学生寮時代の同室だったエスターク君が神戸から東京に再び舞い戻って来て、しかも、近くに住んでくれたので、僕は彼と学生時代同様、くだらない話をする毎日になったw
でも、エスタークはいつか関西に帰ると言ってたし、関西に地元友達も何人かいる。
その頃、▼これらの本に出会い、、、

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
- 作者: pha
- 出版社/メーカー:技術評論社
- 発売日: 2012/08/03
- メディア:単行本(ソフトカバー)
- 購入: 16人 クリック: 1,642回
- この商品を含むブログ (103件) を見る
今からちょうど5年前の、2013年の元旦に、
「よし!ブログ始めよう!!」
と思った。
mixiコミュ崩壊してから約5年。
すでに僕はガラケーからiPhoneに機種変していたし、SNS界ではmixiは姿を消し、twitterもfacebookがメインになってきていた。
「でも、上記の本に出てくるワードプレスなるものはちょっと敷居が高いなぁ。。。」
って思っていた僕は、いろいろ調べていると、、、
『はてなブログ』なるモノが始まると聞き、
「これじゃないか?」
と思った。
僕の目的は、おカネではなく、10代20代の頃と同じ、
「自分と親和性の高いほんの少数の人」
を見つけることだった。
そのためには『陸の孤島』とも呼ばれていたワードプレスより、『はてなブログ』のほうが最適だと思ったし、mixi日記の続きを書けると思った。
つまり、僕は『メディア運営』をしたいのではなく、単純に『ブログ』を書きたかっただけだ。
ちきりんさんやphaさんのような。
というわけで、2013年からはてなブログを始めたけど、最初の2年は苦労した。
その要因は今から考えると2つあったようにも思える。
それはやっぱり、昔からずっと抱えている、
「僕を表す形容詞」
がなかったことがひとつ。
そして、
「はてなブログ自体がイマイチ盛り上がりに欠けていた」
ことが挙げられると思う。
ちきりんさんははてなダイアリーから移行せず、phaさんは有名になってしまってブログよりも書籍の執筆や外部メディア寄稿がメインになってきていた。
それ以外のはてなブロガーはネガティブな記事が多く、、、
元々、ポジティブ体質で、しかも、30代前半の仕事仲間飲み会の後期メンバーがネガティブ過ぎたからリセットした僕には「なんだかなー」という感じだった。
なので、2014年はエスタークといっしょに資格試験の勉強をしていたので、その勉強ログを記事にしたりしていた。
が、そのネタも尽きそうになっていた時に、、、
ものすごい『チャンス』が降ってきた!!
2015年の『ミニマリストブーム』だ!!
元々、お片付け女子の間で2009年頃から▼『断捨離』はブームになっていた。
で、その断捨離をやり過ぎた人を『ミニマリスト』と呼ぶことを僕はこの時、初めて知った。
で、その『ミニマリスト』の定義は広く、▼小屋暮らしをしている人とか、
バックパッカーや、都内の小さな風呂なしアパートに住んでる人も『ミニマリスト』と呼ばれていた。
▼『大東京ビンボー生活マニュアル』の主人公・コースケのような人も『ミニマリスト』と呼ぶらしい。
「これだ!!俺を表す形容詞は!!」
と思った。
ちなみに、今時点での僕の『ミニマリスト』の定義は、モノの量ではなく、
『足るを知る人』
という、形而上学的な概念。
で、しかも、当時は有名なミニマリストブロガーが、いろんなブログサービスから一斉にはてなブログへとお引越しして来ていて、しかも、その各ブログの読者の人もはてなブログでミニマリストブログを始める、というちょっとしたミニマリストブログブームが到来していた。
そのミニマリストブログのメインは女性で、モノがないせいか、比較的ポジティブ思考の人が多かった。
はてな村のネガティブなおっさんに飽き飽きしていた僕にはすごく新鮮に思えた。
あと、昔からよく、
「女子っぽい」
と言われていた僕にはネガティブなおっさんより、普通のアラサー女子のほうが話が合った。
けど、アメリカで始まったミニマリズムは、元々、男性メインで、断捨離女子中心の日本のミニマリストにはポッカリと、
『男性枠』
が開いていた。
「今やー!!」
と、僕は思って、2015年4月に資格ブログからミニマリストブログに転向。
その後、
「今度、ミニマリストの本を出そうと思ってるんです。」
と言っていた佐々木さんという男性とTwitterで仲良くなる。
で、その佐々木さんの本が売れまくった!!

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -
- 作者:佐々木典士
- 出版社/メーカー:ワニブックス
- 発売日: 2015/06/12
- メディア:単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (21件) を見る
佐々木さんと僕は、日本に稀少な男性ミニマリストで、たまたま大学も学年も同じだったので、増々仲良くなっていった。
で、
「これはいよいよミニマリストブーム到来だなぁ。でも、俺は他のミニマリストブロガーとどう差別化しよう。」
と思った。
その頃、ミニマリストブロガー達は頻繁にオフ会を行なっていた。
これはそれまでのはてなブログには見られなかった現象だ。
けど、ミニマリストは意外と東京には少なく、地方に散らばっていて、そのためにミニマリスト達は泊まり込みとかでオフ会に言っていた。
その時に、
「なんかもっと安く泊まれる場所ないかな?」
みたいな話になっていて、僕が、
「『ゲストハウス』に泊まればいいんじゃない?」
と提案した。
そしたら、みんな、
「『ゲストハウス』ってなに??」
という反応をした。
僕は、
「ああ、やっぱりまだ一般的じゃないんだ。」
と思った。
元バックパッカーの僕は、20代の頃は世界中で『ゲストハウス』という安宿に泊まっていたんだけれども、当時は日本にはほとんどなかった、もしくは、あっても無骨な二段ベッドが無造作に部屋に置いてあるだけだったりした。
でも、2010年に東京・入谷に『toco.』というオシャレなゲストハウスができてから、僕は国内ゲストハウスに注目し始め、その二号店の蔵前の大型ゲストハウス(ホステル)の『Nui.』は1階部分がかなりオシャレなバースペースになっていて、かなり注目していた。
で、僕はその前年の2014年の年末に九州や四国地方のゲストハウスを泊まり歩いていたので、その延長でミニマリスト女子に国内ゲストハウスのあれこれを教えてあげた。
そしたらなんと!!
ミニマリスト女子達にゲストハウスがミラクルヒット!!!w
毎週末ごとにミニマリスト女子達がいろんなゲストハウスに泊まりに行き、その様子をブログにレポートしてくれる状況に!!
おそらく、モノが少ない・少なくなった彼女たちは機動性が高くなっていたけど、逆に心にはぽっかりと穴が空いていたのだろう。
その穴を埋めたのが全国で開催されたオフ会であり、そのために泊まったゲストハウス自体にハマって、ゲストハウスに泊まることが目的の旅にもハマっていった。
その状況を見た、当時編集者だったミニマリスト佐々木さんが、
「ゲストハウスの本を作りましょう!!」
と言ってくれて、翌年に完成した本が、ゲストハウス紹介サイト『FootPrints』のだりさんの▼この本だ。

ゲストハウスガイド100 - Japan Hostel & Guesthouse Guide -
- 作者:前田有佳利
- 出版社/メーカー:ワニブックス
- 発売日: 2016/07/27
- メディア:単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
で、そうこうしていると僕もゲストハウスに泊まりに行きたくなり、たまたま小屋暮らし系ミニマリストが参加していた長野県茅野市で行われていた『小屋フェス』に行った帰りに宿泊した下諏訪の「マスヤゲストハウス」がめちゃくちゃ気に入ってしまった!!
その時、たまたま、インタビューをしていたアキラさんという人に聞くと、「マスヤゲストハウス」のデザインは『Nui.』を手掛けた東野さんで、オーナーは『Nui.』と『toco.』で修業をしたきょんちゃんという女性で、
「なるほど!!」
と思った。
で、その翌日はアキラさんに下諏訪の町を案内してもらった。
移住者が移住者を呼ぶ温泉町
というのがものすごく面白いと思った。
その前年の2014年、僕は▼このコミックエッセイを読んだ。
移住者が移住者を呼ぶ広島・尾道の街がものすごく気になって、 この本の後半に出てくる、尾道の「あなごのねどこ」というゲストハウスに年末に泊まりに行った。
で、「あなごのねどこ」や、移住者が集まる尾道の街自体はものすごく良かったんだけれども、、、
東京から何度も通うのはかなり遠いと思った。
しかも、「あなごのねどこ」はゲストハウス草創期にできていたので、もう常連メンバーの人間関係が若干、固まっているようにも思えた。
さらに、その時は僕は九州南部から巡ってきたゲストハウス旅だったので、近くに温泉がないのもちょっと物足りなかった。
で、2015年夏に、温泉町・下諏訪を歩いた時、
「ここに僕が求めていたモノが全部あった!!」
と思った。
しかし、その僕の感動の割に、下諏訪は全国的知名度が低く、新幹線は通ってなくて、冬は寒い割にスキーができない下諏訪で、、、
その地で開業から1年間ゲストハウスを営んだきょんちゃんは、アキラさんのインタビューで、
「もっとみんな、下諏訪に来て欲しい!!」
と言っていた。
それを聞いていた僕は、
「ここに、ブロガーとしての、僕の『関わりしろ』があるんじゃないか?」
と思った。
ちょうど、はてなブログではミニマリスト炎上事件が起きたばかりで、僕は、ブログやtwitterというバーチャルな場所だけではなく、リアルな世界でのコミュニティに飢えていた、というのもあった。
僕は過去にmixiでも一時期、僕のコミュニティとリアル店舗で提携してオフ会をしていた経験もあった。
その時は店側の人間が微妙で、最終的にはモメてケンカ別れしてしまっていた。
(まぁ、僕もまだ若かったのもある)
そういう意味で、
僕が住んでいる東京・新宿区から程近く、温泉があり、マスヤゲストハウスがあり、移住者が移住者を呼ぶ下諏訪という町は、
『ブログという仮想空間を具現化する町』
としては非常に面白い!
と思った。
で、それからはブログ仲間を下諏訪に招待し、アキラさんが僕にしてくれたように下諏訪を案内し、その内容をブログに書いてもらう、という地道な普及活動を極々個人的にするようになったw
最初の1年はブログ読者もあんまり来なかったけど、2年目からは僕も現地でかなりの読者の方に会った!
もちろん、僕が下諏訪に行くことは後悔していないので、ばったり会ったのだ。
僕は嬉しいと同時に、
「こんなにも僕のブログを読んでくれている人がこの世の中にいるんだ!!」
と思った。
ちきりんさんが言う『サイレントマジョリティ読者』の多さを肌感覚で実感した。
で、翌2016年夏には東野さんがお隣の上諏訪に『リビルディングセンタージャパン』を設立。
僕は5日間、「リビセンお助け隊」として参加することに!!
翌2017年1月には、東野さんデザインで下諏訪に移住者交流施設『ミーミーセンタースメバ』をリノベーションするツアーが行われ、僕は密着取材!
これにはミニマリスト佐々木さんも参加!!
12月には下諏訪・星が丘地区の、元労災リハビリテーション施設である『ホシスメバ』のリノベーションツアーも組まれ、僕は第一弾・第二弾ともに密着取材!!
もう、下諏訪道楽、ここに極まれり!
ですよww
というわけで、2015年始め(37歳)~2017年末(40歳)の僕は、
・ミニマリスト
・ゲストハウス
・下諏訪
というコミュニティをクルクルと回していた。
これはブロガー立花さんの本に書いてあった、
「自分の専門分野3つをブログで表現し、かき混ぜる!」
という戦略に則ったものだ。
おかげさまで、ブログを始めようと思った2013年1月の目的である、
「自分と親和性の高い人達」を集める!
という当初の目的は、5年後の2018年1月現在では、ほぼ達成されたと言っていいと思う。
最近の言葉で言うと、
僕自身の『関係人口』はかなり増えてきた!
ということになる。
いや、むしろ、2017年後半はかなりのオフ会やイベントに誘われ、断ったことも多かったし、それだけ断っても予定がかなり埋まってしまっていた。
2017年夏から仕事を辞めて、しばらくはブログに集中しようと思ってたんだけれども、予想以上に作業が進まなかったw
というわけで、前置きがかなり長くなりましたが、、、
今年の目標について!!
2018年1月時点で、プライベートな部分では、
「自分と親和性の高い人達」
で満ちてきた、と言いきってもいい状態になった。
これは大変、ありがたいことで、僕が今までの40年の人生で追い求めてきた状態そのもので、非常に感謝しています。
皆様にも、生まれて来たことにも。
しかし!!
「仕事」においてはその限りではありません!!
2017年夏までにやっていた仕事に関して言えば、
「プライベートで会う人と、仕事で会う人の人間のレベルの『落差』がすごかった。」
と、ずっと思っていた。
まぁ、そりゃあそうだ。
プライベートはブログ最優先で、
「自分と親和性の高い人達」
を集め続けていたんだし、、、
プレイベートな関係では、利害が関係しない、ということもあるだろう。
けど、それにしてもレベルが違い過ぎるw
まぁ、これは僕は20代30代はずっとこの状態で、その要因は、
「ずっとカネがなくて、イヤな仕事を辞めれなかった。」
ことにある。
その証拠に、仕事を断り続けたあげく、2017年7月に1ヶ月だけやっていた仕事は、かなりストレスフリーで、かつ、給料も良かった。
(プロジェクト自体が1ヶ月で終了したので仕事自体も終了し、僕は無事、離職。)
人手不足のこの時代、イヤな仕事なんて断った者勝ちだww
なので、僕は先日、ちきりんさん&勝間さんの動画も聴いて、
「ベーシックインカムという収入保証があれば、仕事を選びやすい。」
と思った。
でも、日本がベーシックインカムを導入するのは、まだだいぶ先だろうから、、、
「自分で『マイベーシックインカム』を作ればいいんじゃないか?」
って思った。
僕の毎月の「ミニマム・ライフコスト」は約10万円。
その分をブログで賄うことが出来れば、
仕事を選び続けることができるし、
もっと言えば、仕事に飽きたら働かなくてもいいし、
ブログ収入をさらに増やして『モバイルボヘミアン』を目指すこともできる。
つまり、月10万円の『マイ・ベーシックインカム』があれば、人生の選択肢がぐーんと広がるのだ!!
ミニマリストの僕が欲しいのは、
アフィリエイトや仮想通貨での巨万の富ではなく、この月10万円の『マイ・ベーシックインカム』なのだ。
なので、今年はブログのマネタイズもちゃんとやっていこうと思ってますし、Amazonの『欲しいモノリスト』も作ろうと思っています。(Amazonギフト券メインになると思いますが。。。)
というわけで、来年以降の人生のQOLを向上させるため、今年は『マイ・ベーシックインカム』を構築しようと思います!!!